ネガティブ論

躁うつ病はなの頭の中を綴る日記ブログ。 ねこもりブログから来た方は、その落差に要注意。

ある日35才になる弟がお金を貸してほしいと言ってきた。第9話。

1日はあっっという間に過ぎた。
待ちどおしいのか、迫ってくる恐怖か。
足の裏がずっとしびれたようにうずいていた。
話し合いが終わった後の想像が、全くできなかった。

仕事を早めに終わらせた旦那とゆたかくんを待ち、3人で実家に向かう。
実家では、私たち以上に神妙な面持ちをした両親に出迎えられた。
長く重い夜の始まりだった。

実家の居間で、大きな座卓を囲んで座る。
父と私でゆたかくんをはさみ、正面には母と下の弟と旦那。
口火を切ったのは、私だった。
「昨日電話で告げた通り、ゆたかくんには借金がある。
 総額500万弱。
 使った先は主に浪費。
 ギャンブル、風俗、分不相応な買い物、ネット課金。
 家の家賃も滞納してるから、近いうちに保証人である両親に連絡がくるところだったと思う。
 ・・・知ってた?」
全員が小さく首を振った。
父と母の眉尻はこれ以上ないほど下がっていた。
ゆたかくんは、今日も真っ赤な顔をしてうつむいていた。

なぜそんなに借金をしたのか。
いつから借りているのか。
どういう返済プランだったのか。
どうしたらそこまで借金がふくらむのか。
両親や下の弟から出る疑問は、しごく当然のことばかりだった。
けれど、ゆたかくんの返答はひどいものだった。

「わからない」
「覚えてない」
「返せると思った」
「たいしたことないと思った」

踏み込んで聞いていけば、飛び出すのは衝撃の言葉ばかり。
けれど、のらりくらりといい加減に逃げている様子ではない。
エアコンのきいた室内で、ひとりだけ額から汗噴き出して、真っ赤な顔で考えこんでこの返事。
すらすらと口が回るタイプではないのは知っている。
必死に考えても頭の中から何も引き出せない、私にはそんな風に見えた。
だから、みんなで辛抱強く問うていく。
なんせ、事実関係を明確にして借金の清算の仕方を考えなくてはいけない。
今日はそのために集まったのだ。
「返せると思ったっていうけど、実際返せてないのが現状だよね。
 それはこの先どういう手段をとるつもりだったの?」
におわせたのは債務整理だった。
でも、返ってきたのは予想外の返事だった。
「・・・返してく、つもりだった」
「どうやって?」
「・・・どうにかして」
「どうにかって?
 もうまともに返せる額じゃないでしょう」

「・・・まだ大丈夫、まだなんとかなる」
ゆたかくんの顔は真剣だった。

手取り約20万。
週休1日。
残業代は当然サービス。
そんな会社がゆたかくんの生命線。
だけど、今月末の支払いだけでも、
 家賃(毎月5万を2カ月滞納中)
 光熱費(期間不明で滞納中)
 車のローン
 楽天のクレカ(9万円)
 アコムの支払い
 携帯代(3万円)
これだけある。
これに、生活費である食費、日用品、ガソリン代、会社のお昼代(後払い)、トムにかかる費用がのってくる。
20万円引くこの総額。
小学生でもわかる引き算だ。
なのに彼は、これでもまだ破たんはしていないと主張した。

彼だけスタートラインが違っていることに、ここでようやく気がついた。

ある日35才になる弟がお金を貸してほしいと言ってきた。第8話。

頭の中で、数少ないゆたかくんとの思い出が切り張りしたコマのように浮かんでは消えた。

私とゆたかくんはその下にもうひとり弟がいる。
いわゆる1姫2太郎の3姉弟だ。
20歳で結婚した私にとっては、実家で弟たちと暮らした記憶はもう20年近くも前の話になる。
遠い昔だ。
私は結婚以降、ほぼ実家には帰ってはいない。
絶縁状態に近い期間も長かった。
連絡を取り始めたのだってごくごく最近のこと。
どこか似ている末の弟以外は、明確に価値観の違いを感じていた。

たぶん、私の親は一般的に見たら「いい親」「いい人」に入るのだろうと思う。
父は真面目な公務員。
母は笑顔の絶えないパート主婦。
多少貧乏だったことは否めないけれど、不自由することはなかったし、いろんなところへ連れて行ってもらったし、食事は全部手作りだった。
手も心も愛情もかけられてきた。
誠実。
まっすぐ。
一生懸命。
優しく、善良。
子供のころは、自慢の親だった。
でも、その裏には人を傷つける不器用さがあると気がついた。
融通の利かない父に腹をたてた。
その父に盲従する母が理解できなかった。
そんな家庭の長男であることにアイデンティティを頼るゆたかくんが気持ち悪かった。
私はこの家に合わなかった。

あれは私とゆたかくんが高校生の時だったか。
1度、ゆたかくんについて親に苦言を呈したことがある。
協調性がなく、悪い意味でマイペース。
いつまでたっても下の弟いじめがやめられなくて、加速する内弁慶外ねずみ。
食い意地が張っていて、人の分だとわかっていても平気で食べてしまう意地汚さ。
言ってもやめない、気に入らなければ逆ギレする。
年齢よりはるかに幼い精神年齢。
当然話をしても、聞き入れる器もない。
だが、ゆたかくんはどこかおかしくないかと告げる私の話を、母もまた聞く器を持たなかった。
男の子なんてこんなものだと、ばっさり切り捨てた。
その下に2つしか変わらない末弟がいるのに、その弟はゆたかくんよりはるかに大人びているのに、ゆたかくんのようなおかしさは持っていないのに、親の目にはそう映らない。
うちは、緩やかだけど根の深い長男教だったと思う。

別に派手なひいきがあったわけじゃない。
どちらかといえばゆたかくんは万事において不器用で、要領よく立ち回るのは私や末弟の方だった。
でも、何かの時にはこの「長男」であるゆたかくんに期待していたんだと思う。
いつか家に入るのも、いつか墓を継ぐのも、いつか親亡き後全てを取りまとめていくのも。
父は、ゆたかくんに任せる以外の選択肢を考えたことはないだろう。
そんなゆたかくんが、おかしいなんてことあるはずがない。
ゆたかくんの「長男」という肩書が、この人たちの目を曇らせたのかもしれない。

大人になるにつれ、子供はだんだんと親が完全な存在ではないとに気づく。
ひとりの人間として評価するようになる。
私もそうだった。
高校生という大人と子供のはざまの年齢から見る世界は今までとは少し違っていて、世界で一番頼もしいと思った父はなんだか理不尽で、誰よりも優しいと思っていた母はとても心が弱く見えた。
この人たちは見えている部分しか理解しないということを、そこでようやく理解した。
無条件で親を尊敬する気持ちをなくしたのは、たぶんこの頃だったと思う。
                                                                                                                              

ある日35才になる弟がお金を貸してほしいと言ってきた。第7話。

その夜は、うまく眠れなかった。
帰ってきた旦那に事情を話し、借金について債務整理について弁護士について調べ、本人がまだ語ってはいないけれど借りてそう滞納してそうな項目をピックアップした。
詰め込んだ情報が頭の中を駆け巡り、目を閉じると文字と数字の世界に落ちていくようだった。

あの電話の後も、少しだけゆたかくんと話をした。
でも、わかったのはゆたかくんがポンコツだということだけだった。
水道電気ガスに件の家賃も滞納しているが、滞納額が明確なのは家賃だけ。
水道電気ガスは全て、いつから払ってないのか、金額はいくらなのか、そもそも払い込み用紙はどこにあるのかさえ不明。
ガスに至ってはすでにかなり前から止まっているという。
他の借金や何かの滞納については、あるかもしれないしある可能性は高いけどどれだけ頭をひねっても「覚えてない」の一言しか出ず。
借金の経緯にいたっては、本人もうろ覚えで曖昧だったが、今年の頭にサラ金にけっこうな額の借金がある状態で200万の車を全額残価型クレジットで購入したらしい。
そしてその後に、複数あったサラ金と1枚だけ持っていた楽天のクレジットカードをおまとめローンでひとつにして、それによって空いたクレジットカードの残高をあっという間に使い切ったという。
この時点で、まだおまとめしたローンの支払い1回目も始まってないのに、まとめてなくなったはずの楽天クレジットカードの残高は元通りになっているわけだ。
これは、債務整理が厳しくなる借り方だ。

ゆたかくんの口からは、幾度か「自己破産」の単語が出た。
明言してはいないが、いざとなったら自己破産ができると思っているんだろう。
でも、2カ月ほどで一気に借金を数百万単位で増やし、しかもおまとめして空いた枠を一瞬で使い切って自己破産なんて、免責が下りるわけがない。
バカでもわかる。
故意犯だ。
始めから、好きなことして使い切って自己破産するつもりだったとしか思えない。
擁護したくもない姑息さだ。

会社の先輩からは去年2回に分けて30万借りているが、この返済期限は去年の12月だったそうだ。
今は6月。
半年経過しているが、何の連絡もしていないらしい。
友達に4万借りたのは先月の話だという。
スロットに行って負けて生活費がなくなったのを借りたという。
つまりつい先月までスロットをしていたというわけだ。
母に借りた20万はその出来事の少し前の話らしいから、そこで使ったスロット資金はもしかしたら母からのお金から出ていたのかもしれない。
その時も名目は家賃だったというが、結局今でも滞納しているところを見るとちゃんと目的通り支払わなかったのは明々白々だった。

ある日35才になる弟がお金を貸してほしいと言ってきた。第6話。

「あのね、話があるの」
声だけでにこにこしているのがわかる母を遮って、いつもよりトーンの低い声で話した。
何かを意識したわけじゃなかったけれど、いつもどおりの声は出なかった。
「こみいった話だから、お父さんにかわってくれる?」
わかったと母が受話器から離れる気配に、少しほっとした。

はい変わりましたと、のんびりした父の声が耳に入る。
たぶん、夕食も終わってゆっくりお茶でも飲んでいたんだと思う。
今日という一日がこんな結末で終わるとは思ってもいないだろう。
極力感情が入らないよう、事務的に話を切り出した。
「今日、ゆたかくんが私にお金を借りに来た。
 金額は15万。
 名目は家賃。
 でも、話のつじつまが合わないから突っ込んで聞いたら、サラ金、クレカ、友達、ローンで、総額500万近い借金があるらしい」
ゆっくりした父の声が、言葉にならない音で相槌をうったのがわかった。
「それに、お母さんもお金を貸してるはず。
 金額は20万。
 時期は今年の春。
 お父さんは知ってる?」
いや知らない、と小さな声が呟いた。
やっぱりかと思いながら、こういうとき父親は何を思うんだろうなと思った。
「もう個人でどうにかできるレベルじゃない。
 少なくともゆたかくんでは返せない。
 どうするのか、一度話し合うべきだ思う。
 明日、実家で家族会議をしたいんだけどどうかな」
わかった、と父が答えた。
電話の向こうには下の弟もいたらしく、その場で時間を調整して、明日仕事終わりに父母、はな夫婦、ゆたかくんに、はなとゆたかくんの下の弟全員で実家に集まることになった。
母に電話をかわってもらい、あなたが勝手にゆたかくんにお金を貸したことを父に話したことを伝え、自分のしたことを自分の口できちんと話すよう言った。
全ては明日改めて相談することになった。

衝撃過ぎたのか、両親とも驚いたリアクションさえ存在しなかった。
そりゃそうだろう。
田舎の出身の両親は、口でこそ平等だというけど根っこの部分は完全なる長男教。
自分たちの人生の最後は、このゆたかくんに見てもらうつもりだったはずだ。
私が感じた感情は怒りだったけど、この人たちは明らかに落胆した。
それだけ期待があったということだ。
目の前では、うつむいたゆたかくんの額に汗が浮かんでいた。
自分の欲で500万近い借金を使い切った男。
その後始末さえひとりでできずに人に迷惑をかける男。
こういう時に全てを受け入れて「頑張ろう」と言える人は強いな、と思った。

もうお金もほとんど持ってないゆたかくんに食事をとらせ、明日仕事が終わり次第またうちに来るようにと告げた。
わかりましたと返事したゆたかくんは、ぴかぴかの新車に乗り込んで帰っていった。
全てが始まった一日が、ようやく終わった。

ある日35才になる弟がお金を貸してほしいと言ってきた。第5話。

贅沢な生活。
必要ない買い物。
過ぎた娯楽。
ギャンブル。
そして風俗。

表情を変えないよう、顔に力を入れた。
怒りなのか、苛立ちなのか、悲しみなのか、軽蔑なのか。
湧き上がっている衝動が何なのか、自分でもわからなくなっていた。
ゆたかくんはこの春で35歳になったはずだ。
なのに、なんだこの頼りなさは。
彼は、聞かれなければずっと黙ったまま自分から何も話そうとはしない。
この借金も、今お金を借りに来たことも、私に放り投げたままただ黙って次の指示を待っている。

「お父さんとお母さんに、話すよ」
私の言葉に、ゆたかくんの頭がはねあがった。
目がいやだと訴えていたが、無視をして続ける。
「金額を考えても、内緒にしておける話じゃないでしょう。
 それに、アパートの保証人だって親なんじゃないの?
 それだけ滞納してれば、連絡がいくのも時間の問題でしょう」
それに、と続けかけて、自分の妄想に背筋が冷えた。
「トムはどうしてるの。
 ちゃんと、元気にしてるでしょうね?」

トムは、ちょうど3年前の夏にゆたかくんが拾った子猫だ。
当時ペット不可のアパートに住んでいたゆたかくんは、拾ったトムを飼いたくて今のペット可のアパートに引っ越した。
その引っ越しの間の2か月間、トムはうちで面倒を見ていた。
だからトムのことは私もよく知っている。
この3年間、ゆたかくんの手元にはトムがいたはずだ。
ずっと。
こんな。
借金まみれの中に。

「元気だよ」
慌てたようにゆたかくんが答えた。
さすがに何を疑われたのかはわかったらしい。
「ご飯もトイレもやってる。
 トムも元気にしてる」
自分の生活がこれだけ崩壊してるのに猫の生活がきちんとできているはずがないだろう。
ゆたかくんの言葉は、内容とは裏腹に私に少しの安心も与えなかった。
近いうちに引き取りにいく。
心の中で決意した。

煮詰まり始めた話を前に、私は携帯電話を手に取った。
「これからお父さんとお母さんに電話をする。
 そして、今あなたが話した全てを伝える。
 そしたら、明日か明後日、できるだけ早いうちに家族会議をしたいと思う」
ゆたかくんがうつむく。
「こうなってしまった以上、私は洗いざらい調べる。
 嘘をついてても、必ずわかる。
 まだあるなら、全部今自分で言った方がいいと思う。
 もう隠してることはない?」
ゆたかくんがうなずく。
それを見て、ゆっくりとボタンを押した。

いつも笑顔なうちの母は、その時もご機嫌で電話に出た。
ほんわか、のんびり、ドジも多いけどなんにでも一生懸命。
母は、はなとは正反対の人だ。
はあい、はなちゃん晩御飯食べた?と、言葉に音符がのっていそうな声色も普段と何も変わらない。
これから私はこの声を曇らせるんだなと、思った。

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