ネガティブ論

躁うつ病はなの頭の中を綴る日記ブログ。 ねこもりブログから来た方は、その落差に要注意。

日記。

躁状態はこんな感じです。

躁鬱病と言われて、いちばん解釈に困るのが「躁状態」だと思う。
実際、はなもいまだに謎のままわかってない部分も多い。
実は躁こそ躁鬱病の人の数だけ答えがあると思っているので、今回はいわゆる一般論とはなのケースだけお話ししようと思う。

最初に病院で言われたのは、躁鬱病というのは本人が苦痛やしんどさを感じていないならあえて治療する必要性はない病気だ、という話だった。
その肝となる躁状態は、ノリノリで仕事がはかどるとか、すらすら作品が出来上がるとか、いわゆる本人の持つ能力が限界超えて覚醒しちゃっていて、普段よりも出来のいい状態に突入してることも少なくない。
その躁状態を、メリットとしてうまく使えてるなら、放置でも全然かまわないんだそうだ。
なんて適当な判断基準。

でも、これにははなも心当たりがある。
自分が躁鬱病だと診断される前、はなは自分がおそろしくムラのあるタイプだと思っていた。
ノリノリの時は、何日も徹夜してものすごい集中力を発揮していくつものことを同時進行しながらやり遂げることができるのに、ダメダメな時は、とても簡単な作業ひとつ終わらせることができない。
難しい参考書や解説書を一晩で何冊も読み解ける日があるかと思えば、ドラえもん1冊読めない日もある。
今思えば、前者が躁で後者が鬱の状態(厳密には軽鬱)なわけだが、その当時はわからなかった。

じゃあ、別に躁状態を治療する必要はないと思うかもしれないが、上がったものは落ちる。
躁が来た後には鬱が来るのだ。
それも、高くあがった躁ほど、深く落ちる鬱へ続く。
だから、躁鬱病の治療というのは、躁状態をあまり高くあげないようにすることで気分の振り幅を狭くしようと、ひどい鬱が来ないようにしようということが主軸になっている。

正直、人生に躁状態しかなかったらはなはきっと治療なんてしなかったと思う。
躁状態は、能力の覚醒の他、精神面でも大きな自信を発生させる。
「私はすごい。」
「私はできる。」
「そんな私をみんな大好きなはずだ。」
「世界の中心は私だ!」
この思考を大真面目に思うようになる。
いわゆる「万能感」。
ポイントは、そんな気がするだけで現実がそうであるとは限らないこと。
何でもできて、何でも分かってる気になる状態。
ピークの時なんて、出来ないことなんて何もないような感覚さえやってくる。
そこに浸かりきってる間はとても幸せで満足してて気力に満ち溢れる。
でも、上がれば落ちる躁鬱は、いつかこの状態が夢から覚める。
そして、夢を見てる間にした自分の行動を、今度は、
「私なんて必要ない」
「生きててすいません。」
「生まれてきてすいません」
という精神状態で受け止めなければいけなくなるわけだ。
言うなれば、大人しく生きてきた女の子が酒に飲まれて大暴れした次の日だ。
うん、酒飲みのたとえは酒ばかり。

考えてみてほしい。
誰もが1度はあると思う。
酒飲んででも、調子こいててでも、なんかやけに浮かれててでもかまわない。
なんでそんなことしちゃったんだろうと後悔した経験。
はなは、それが人生単位。
その時は必要だと思った散財。
その時は出来ると思った大法螺。
その時はこの私にたてつくなんてと思った逆切れ。
黒歴史はもう飲み込み切れないほどある。
ちょっとこっぱずかしいレベルから、口に出したら終わる話まで、上から下までよりどりみどり。
切れてしまった縁も、切ってしまった縁も、数えきれないほど。
躁状態にさえ入らなければそんな行動しなかったとは思うけれど、相手にはそんなこと関係ない。
自分の中にふたつの性格がまるで交わることなくあるような感覚。
そして、そのどちらも反対側からでは制御ができない、そんな感じ。

だから、はなは治療をすることを選んだ。
躁の万能感より、鬱の後悔を迷惑を減らしたい。
普通であることに憧れる。
躁鬱病って、はなにとってはそういう病気。






はなの鬱ってこんなんです。

冬になると、調子の悪い日が続くのは仕様らしい。
先生にそう言われた。
そして、言われた通り調子が悪い日が続いている。

はなの鬱は、突然どうしようもない絶望が背中に降ってくる。
何かあったわけでもなく、これから何があるでもなく。
ただ唐突に真っ暗な気分と絶望が幕を開ける。

何にも理由なんてないから、当然どうにかすることなんて不可能。
言うなれば、失恋なんてしてもないのに失恋のあの気分だけやってきた、みたいな感じ。
うん、最悪。
トキメク相手のいない失恋とかいいとこゼロ。
踏ん張れる気全くしねえ。
もしそれが、本当に失恋したんだったら、思い切り泣いてみたり酒飲んだりヤケ食いしてみたり酒飲んだりフテ寝してみたり酒飲んだり友達とカラオケ騒いだり浴びるほど酒飲んだり。
その時出来る目一杯のやり方で失恋の傷をいやすこともできるかもしれない。
(ほぼお酒押しですが、投薬中の方はお酒ダメ絶対)
でも、はなに来る絶望には理由がない。
何か悲しいことがあったわけじゃなく、何かトラブルがあったわけでもない。
人生トラブルばっかだけど、そういう時に限って何にもない。
だから、解決させる方向性が見えないまま、ただただその中をもがく日々がスタートする。
とりあえず、意味は分からない。

負の感情ってのは、本当に人を消耗させる。
生きててごめんなさいとか。
自分みたいなもんがとか。
過去の黒歴史をやたらと思い出して生まれてきてすいませんとか。
日頃ギャグでしか言わないようなフレーズが真面目にのしかかってくるのは恐怖だ。
感情がオーバーヒートぶっこいてて、夕日見ただけで涙が出る。
30いくつにもなって全力センチメンタルジャーニーだ。

はなは、そうなると寝まくりの日々を過ごす。
というか、それしかできなくなる。
めちゃくちゃ眠れる過眠の時は放置で、眠れない時は薬に頼る。
すると、どこかでふっと絶望が楽になる時が来る。
それを待つ。
消極的だけど、解決策はこれしかない。

これが結構真面目につらい。
人によっては、生きてることさえつらい。
本気で、全て滅べばいいのにとか思う。
鬱病の人の鬱はこれとはまた少し違うみたいだし、躁鬱病でも人によっていろんなパターンはあるみたいだけど、はなはだいたいこんな感じ。

はなは、どちらかというと鬱は軽い方だと思う。
過眠過食に行くタイプだから痩せ衰えてもいかないし、何もできないほどの大底状態はおおむね数日で通り過ぎてゆるい鬱がちょっと続く。
だから、ひたすら寝ることでなんとかやりすごせる。
そのかわり、躁はけっこう激しい。
どっちがマシかはわからないけど、出来るならどっちも嫌だと思う。
薬のおかげで程度や頻度は楽にはなったけど、ゼロになるのは高望みみたいだ。

春になったら、もう少しマシになることを願って、今日も布団におやすみなさい。




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